Aug 17, 2014

アートスクールを出る迄の経歴

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最近新しくお会いした人に「アートをやっています」と自己紹介をしたら、
「アートの他に何をやっているの?」と聞かれる事が何回かありました。
日本ではartistとかphotographerというのは職業とみなされへんのかな?
と思ったりしますが、一応職業アーチストを目指してやっています。
「絵をかかれるなんていいご趣味ですね。」と言われる事もありますが...
欧米なら「アーチストです。」と言っても「ほう。そうですか」で済みますが..

なのであらためて自己紹介を書きます。

Bio
A Fine artist, photographer, writer.

BFA, Fine Art major, Academy of Art University, San Francisco, USA, 2010.

2002 – 2003 Interdisciplinary, San Francisco Art Institute, San Francisco, CA
2002 Fine Art in Photography, The College of Santa Fe, Santa Fe, NM
2001 Photography Academy of Art University, San Francisco, CA
2000 Summer Scholarship, Academy of Art University, San Francisco, CA
1986 – 1987 Osaka University of Arts, Literary Arts, Osaka, Japan

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アーチスト,写真家,2010にアメリカ、サンフランシスコのAcademy of Art University の美術学科卒業。
美術の他に、他の大学などで写真、文芸、映像などの勉強をしていた。
大阪芸大の文芸学科に少し通った。

10歳で韓国、12でアメリカホームステイ。
在米トータルで約9年。
東南アジア、アメリカ、カナダ、メキシコなど海外を旅する。
自称バックパッカー、ヒッピー、旅人。(+)


….というのがsnsのプロフィール欄などにのせている紹介とホームページです。
ページもご自由にご覧になって作品も買ってくれると嬉しいです。


なぜアートに行き着いたか、という話を簡単にします。

一人っ子で小さい時から本を読むのが好きな子供でした。
特に星新一や横溝正史が好きでした。
洋物では祖父に児童文学全集や、大草原の小さな家の全巻セットを誕生日に買ってもらって読んでいました。老人会で俳句をやっていた祖父母と一緒に俳句もやっていました。
自分でも短編を書いたり、星新一のショートショート集を読んで、コンテストに出したりしていました。なのでずっと小説家になりたいと思っていました。
そのうちテレビで倉本聰のドラマを見てシナリオ作家にもあこがれるようになりました。

子供の時は自宅の別宅で家族が塾みたいなのをしていて、母親が英語のチューターをしていて自分も英語を習っていました。なので英語でも童話を読んだり劇をしたりしていました。

劇と言えば、3、4歳の頃は「アカデミー児童劇団」で劇やテレビにも出ていました。

英語を習っている間は韓国やアメリカにホームステイに行ったり、アメリカの4Hという農業団体からアメリカ人の子や大学の先生が引率で泊まりに来たりしました。オーストラリアからもホームステイに来ました.

学生の時は6年間いじめにあって大変だったのですが、なんとか大阪芸大の文芸学科に入り、これでやっと文学の勉強が出来る、と思ったのですが、2年にあがる前の春休みに甲状腺機能亢進症にかかってしまい、泣く泣く中退しました。

2年程療養をして、同じ頃に退職して起業をしていた父の所で働きだしました。当時はフリーターという概念がなく、大学も行かずにふらふらしている人はアルバイトでも雇ってもらえませんでした。

まだ症状は続いていましたが、「中退」したのが悔しかったのと、日本から出たい、という気持ちがあり、好きだったシナリオや映画の勉強をしにアメリカに行く事にしました。
話ははしょりますが、89-93年迄アメリカにいて英語学校や短大で勉強していました。

途中で国際結婚していましたが、相手が先に大学院を出たのを気に、アメリカからも父の仕事を手伝っていたのですが、バブルがはじけてコンサルタント業が大変になってきたので、帰国しました。

その間いろいろあったのですが、個人的にはアメリカの大学も卒業出来なかったのが悔しくて、独学で写真の勉強をして、バイトや父の会社の手伝いをしながら旅行して写真を撮ってはコンテストに送っていくつか賞ももらえるまでになりました。

結婚はうまくいかなかったですが、2000年に自分の写真で、運良く以前から問い合わせていたサンフランシスコ芸大の夏の奨学金がもらえて、その時にした写真の勉強が面白かったため、翌年からまた改めてアメリカで勉強する事になりました。

すると今度は9.11が。。。

Academy of Art Universityに行っていましたが、テロの時「次はGolden Gate Bridgeの上にテロが来る」という噂があったり、テロが留学ビザだったため、留学生がみんな移民局の目の敵にされていて、怖くなったので、一時期New Mexico州サンタフェの大学でスカラシップをもらえる所があったのでそこで勉強していました。バブルの時にあれだけいた日本人も他の留学生も誰もいなくて、イメージと違う所もあり、またサンフランシスコに戻りました。

それからSan Francisco Art Institueに通ってコンテンポラリーアートの勉強をしていましたが、テロの後期待していた奨学金が留学生には降りなったこと、テロのショックで精神的に不安定になってしまったことなどでまた日本に帰りました。

しばらく京都造形の通信も通ってみましたが、アメリカ式の勉強方法の方が向いていたので、最初に通っていた、Academy of Art Universityのオンラインコースに編入して、何年もかけてネットで勉強していました。
最初は写真学科だったのですが、写真は機材を揃えたり、体力や時間がかかると思い、Fine Art major (美術学科)に編入しました。そこから絵は1から勉強して油絵やアクリルや水彩画のかきかたを学びました。
体力がなく、要領も悪いので、毎週1枚絵をかかないといけないのは大変でした。

アカデミーに入ってから10年、芸大やめてから23年年もたってやっと大学の学位をとることが出来ました。

「アメリカに行っていたなら英語を教えたら」という人もいますが、昔は親の後をついで….と思った時もありましたが、それだけ頑張っていろいろと勉強したことなので、ずっと習ってきたことを活かした事をしたい、という想いがあります。

卒業してから、燃え尽き症候群っぽくなってしまったり、ホルモンバランスを崩してしばらく体調をくずしていた時期があり、あまりアーチストっぽい活動は出来ない時期もありましたが、こらからも体調にあわせて活動して行きたいと思っています。


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